かつて多くのライダーから支持を受け、のちに多大な影響を与えたアンダー400にスポットをあてる連載企画。GPなどレースシーンでも活躍したことから、そのスポーツ性を広くライダーに知らしめた2ストロークだが、かつて存在すら危ぶまれる時期があった。その不遇の時代から脱却する原動力として、RZ250が与えた影響は計りしれない
最後の2ストに与えた抜群の性能は、時代の潮流さえも変えてしまった
モノクロスサスペンションを採用する足まわりは、軽量アルミキャストホイールとの組み合わせによるバネ下重量の軽減や、ソフトな乗り心地を具現化。抜群の路面追従性を発揮し、高いコーナリング性能を誇った。そのほかにもTZ250でつちかったノウハウが随所に活かされた、まさにTZレプリカの名にふさわしいレーシーなモデルであった。
そして胸のすくような加速感や俊敏なアクセルレスポンス。軽量な車体が生み出す軽快なフットワークなど、2ストロークらしさを存分に味わえるマシンとしてRZ250は完成。最後の2ストロークとして望んだ開発陣の意気込みが、実を結んだ瞬間である。
また、環境規制を考えると、2ストロークらしさが失われるので、対米輸出はなくRD250LC(LCはリキッドクール、水冷の略)という車名で、ヨーロッパへ輸出される。スポーツ性の高いマシンを求める、ヨーロッパのライダーに向けられたのであった。
時代は4ストロークとなりつつあり、2ストロークでは不利という憶測も飛んでいた国内市場だが、「こんなにみなさんに期待されているとは、うれしい誤算です」と、ヤマハ側からコメントが出るほど、RZ250は発売前から大きな注目を集め、大ヒットを記録する。多くのライダーが、2ストロークらしさを存分に味わえるスパルタンなマシンを求めていたのだ。
そしてRZ250は空前のバイクブームを牽引する一翼も担い、のちに各メーカーも2ストロークモデルを開発。時代はレーサーレプリカブームへと移行するのだ。そして翌年、ヤマハは兄弟車、RZ350を発売。83年には後継機種であるRZ250Rへモデルチェンジをはたす。
その後はレース人気も手伝い、各メーカー間で激しい開発競争が繰り広げられていった。そのような過程を経て2ストロークマシンは、性能面においてある意味では頂点を極めるのだ。
現在では当時よりもきびしい環境基準から、一部を除き2ストロークモデルは国内メーカーのラインナップから姿を消した。しかし、もしもRZ250の登場がなければ、2ストロークは20年以上も前に終息の一途をたどっていたのかもしれない。本当に最後の2ストロークになっていたのかもしれないのだ。だが、時代の流れさえも変えてしまうほど、RZ250は広く受け入れられた。多くのライダーが、RZ250のようなマシンを求めていたのである。
マシンギャラリー
RZ250が発売された1980年の出来事
- 1億円拾得事件、のちに拾い主のものとなる
- 大平正芳首相死去にともない内閣総辞職、鈴木善幸内閣成立する
- 静岡駅前地下街爆発事故
- モスクワオリンピック開催されるが、日本ボイコット
- 新宿西口バス放火事件
- イラン・イラク戦争勃発
- 山口百恵の引退コンサート、武道館で開催
- 黒澤 明監督の『影武者』がカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞
- ジョン・レノン銃殺事件
- 松田聖子・田原俊彦・近藤正彦が歌手デビュー、アイドルブームが起こる
- なめ猫ブーム
- 漫才ブーム
- ベストセラー、五島 勉『ノストラダムスの大予言Ⅱ』、ツービート『ツービートのわっ毒ガスだ』
- ヒット曲、海援隊『贈る言葉』、クリスタルキング『大都会』、シャネルズ『ランナウェイ』、五輪真弓『恋人よ』
- ヒット映画、『スターウォーズ 帝国の逆襲』、『復活の日』
- 流行語、「赤信号、みんなで渡ればこわくない」、「カラスの勝手でしょ」、「竹の子族」
※本記事は『Under400』No.05(2007年7月8日発売)に掲載された当時の内容を再編しています