かつて多くのライダーから支持を受け、のちに多大な影響を与えたアンダー400にスポットをあてる連載企画。ホンダが意地とプライドを賭けて、2ストローク戦線に投入したのが86年。世界の頂点を極めたGPレーサーの過激な走りの遺伝子を、色濃く受け継ぐ最強マシンがNSR250Rだ。レプリカブームのどまん中を駆け抜け、時代を築きあげた、まさにブームの立役者である
写真:武田大祐
2ストローク戦線に投入された
GPレーサー直系の高性能マシン
屈辱をバネに開花したレプリカ最強2ストマシン
いきなり本題核心部を語ってしまうと、NSR250Rは86年に誕生した。そしてレプリカブームという一大ムーブメントを牽引するのだが、まずはホンダがそこへたどり着くまでの話から始めたい。
スーパーカブの時代からホンダは、市販車はもちろんレースも4ストロークにこだわり続けた。そのことを端的に物語るのが、WGPにホンダが完全復帰をはたした79年、2ストロークの優位は絶対であったが、楕円ピストンという独創的な技術を開発して、V型4気筒8バルブの4ストエンジンを搭載したNR500で挑戦。しかし苦戦を強いられ、勝利を挙げることはかなわなかった。
そこでホンダはNRでつちかったノウハウと技術陣で、2ストマシンの開発に着手。モトクロスではひと足先に2スト開発が進んでいたことも功を奏し、早々とNS500が完成するのだ。このNS500は他メーカーがV4エンジンを搭載するなか、あえて軽量コンパクトでマスの集中化が図れるV型3気筒を採用。各気筒が前後に開いた1軸V型式は、構造もシンプルでフリクションロスも少ない。気筒数こそ違うが、市販レーサーRSやNSRなど、後のマシンにも活かされることになる。
そしてNS500は82年のデビューイヤーから3勝を挙げ、翌年には“ファストフレディ”の異名をとる天才、フレディ・スペンサーによって、ホンダ初の500㏄クラス王者に輝く。そして84年から車名もNSR500となり、85年には250、500㏄の両クラスにフレディ・スペンサーが参戦、ダブルタイトルという偉業も達成する。ホンダの2ストロークマシンは、まず初めにレースの世界で成功を収めたのだ。
だが、市販車の世界へ目を移すと、ヤマハのRZシリーズやスズキのΓといった2ストローク勢に対して、MVX250FやNS250Rなどを投入するが、市場での優位性はたもてず、劣勢は否めない状況。しかし、前述のダブルタイトル獲得が追い風となり、“スペンサーのマシンを量産するぞ”と、開発陣が奮起するキッカケとなる。そして数々の産みの苦しみを味わいながらも、86年10月にNSR250Rはついにデビューするのだった。
HONDA NSR250Rの主要スペック
- 全長×全幅×全高
- 2,035×705×1,105(㎜)
- 軸間距離
- 1,360㎜
- シート高
- 750㎜
- 乾燥重量
- 125㎏
- エンジン種類・排気量
- 水冷2ストローク ケースリードバルブV型2気筒・249㎤
- 最高出力
- 33.1kW (45ps)/9,500rpm
- 最大トルク
- 35.3N・m (3.6kgf・m)/8,500rpm
- タンク容量
- 16L
- 燃費(50km/h低地走行テスト値)
- 41㎞/L
- タイヤサイズ
- F=100/80-17・R=130/70-18
- 発売当時価格
- 55万9,000円
※本記事は『Under400』No.04(2007年4月8日発売)に掲載された当時の内容を再編しています