かつて多くのライダーから支持を受け、のちに多大な影響を与えたアンダー400にスポットをあてる連載企画。ホンダが意地とプライドを賭けて、2ストローク戦線に投入したのが86年。世界の頂点を極めたGPレーサーの過激な走りの遺伝子を、色濃く受け継ぐ最強マシンがNSR250Rだ。レプリカブームのどまん中を駆け抜け、時代を築きあげた、まさにブームの立役者である
写真:武田大祐
ストイックなまでに走りを追求!
時代を独創したレプリカの申し子
NSR250Rには当時、WGP250㏄クラスのメーカーチャンピオンを2年連続で獲得したGPレーサー、NSR250の最新技術が数多くフィードバックされた。まずエンジンは新設計の水冷2ストローク90度V型2気筒を搭載。NS500の技術が活かされ、軽量スリムでコンパクトな一軸クランクシャフトのV型レイアウトだ。また、一次振動が理論上ゼロとなるシリンダー挟み角を90度に設定することで、エンジンをフレームにダイレクト固定して搭載。軽快な操縦性を生むことにも大きく寄与している。
また、吸気効率を向上させるクランクケースリードバルブ方式は、キャブレターをエンジン後方に平行配置することが可能となり、エンジンも20度前傾で搭載。低重心化を図っている。排気系にはコンピュータ制御のRCバルブを採用。幅広い回転域で、力強い出力特性を発揮するのだ。
そして車体に目を移すと、エンジン自体をフレームの一部とした設計で、目の字断面構造を持つアルミフレームと相まって、軽量、高剛性化を実現。クラス最軽量の125㎏も達成している。さらに運動性能に大きく寄与する足まわりには、高いフレーム剛性に合わせて、偏平タイヤやS字断面スポークと幅広リムを持つアルミホイール、アルミスイングアームなども採用。GPレーサーゆずりの最新技術を数々駆使して、市販車においてもトップを獲るため、圧倒的な走りのパフォーマンスを追求したのだった。
圧倒的な性能を誇ったNSRの登場は、若者を中心に多くのライダーから支持を受け、大ヒットを記録する。そして、ライダーのなかで高性能という価値感が大きなウエイトを占める気風が、いっそう高まるのだ。
メーカー側もそれにこたえるべく、サーキットテクノロジーを惜しげもなく投入、毎年大幅な改良も重ねていった。そこで差別化を図るため、87、88などとモデルイヤーで呼ばれたのも特徴。また、87を初期型とし、94の5型までNSRは進化を遂げるのだが、初期モデルは比較的スパルタンな路線で、90あたりから、扱いやすさも感じられる味付けに変化した。数値的な性能面だけでなく、ライダーが乗りやすいと感じられる性能が、速さにもつながるといったことに気付いたからである。
若者を虜にし、空前の大ヒットを記録したNSRは、90年代半ばに差しかかると、かつての勢いはなくなってしまう。それはレプリカ時代の終焉も意味していたが、時代の寵児としてNSRが君臨した数年間があるからこそ、マシン性能は飛躍的に伸び、また、メーカーやライダーがともに熱く時代を駆け抜けたのだ。NSRの存在が、シーンに与えた影響は計り知れない。
マシンギャラリー
NSR250Rが発売された1986年の出来事
- スペースシャトル チャレンジャー号爆発事故
- フィリピン、マルコス政権崩壊
- 男女雇用機会均等法施行
- チェルノブイリ原子力発電所で大規模爆発発生
- ドラゴンクエスト発売
- W杯メキシコ大会マラドーナ擁するアルゼンチンが優勝
- 清原和博(当時西武)が高卒新人最多の31本塁打を記録
- 伊豆大島三原山大噴火、全島民一時避難
- ビートたけしらにより講談社襲撃事件が起こる(フライデー襲撃事件)
- ハレー彗星大接近
- ヒット曲 石井明美『CHACHA-CHA』、渡辺美里『MY Revolution』、世飢魔Ⅱ『蝋人形の館』
- ヒット映画 『トップガン』、『エイリアン2』
- ベストセラー 家田荘子『極道の妻たち』
- 流行語 「究極」、「新人類」
※本記事は『Under400』No.04(2007年4月8日発売)に掲載された当時の内容を再編しています
HONDA NSR250R 〈前編〉はこちらHONDA NSR250R 〈ヒストリー編〉はこちら
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