大学の卒業制作をしていたとき、中間発表の際にとある教授にいわれた言葉が、人生のなかでは真実を知ることへの大きなターニングポイントだった。素直な(?!)ボクはそれまで、教科書をはじめとする書物に書かれていたことを鵜呑みにしてきた。言い換えれば文章になった話は疑う必要のない真実だったのだ。しかし教授は「書物に残っていることがすべてだと思ってないか? 書物に残るのは、どういったものかわかりますか」と問いかけたのだ。そう、都合の悪いことは、誰もが隠したくなる。とくに権力を持った人は、その権力を活かして、自分にとって都合のいい世界を築くために、さまざまな“ウソ”をつく。太平洋戦争中の日本軍に関する戦況報告しかり、ナチスなんかは写真を加工して、その場にいた人物をいなかったことにしていたりする。また、書き手の解釈の仕方によって、事実が歪曲してしまうこともあったりする。
先日、学者になった友人と話をしていたとき、福島の原発問題に話がおよんだ。すでにいろいろな事実隠蔽の話題が新聞や週刊誌の誌面にもなったけれど、あらためてとんでもない報告されなかった事実を知らされて“やっぱりな”と思った。
この歳になると、世の中の構造が否が応でも見えてくる。そして残念なことだけど教授の言葉が頭に思い浮かぶ回数も増えてきている。