このコラム、4月1日に書いているのだけれど、4月1日といえばエイプリルフールである。子どものころは、友達がウソだと気が付いたときの表情見たさにさまざまなウソを考えたものだ。逆にだまされたくないものだから、友達の話を変に疑いつつ聞いていた気がする。何せだまされたとわかったときの悔しいことといったら地団駄を踏んでもそう簡単に収まるものではなかった。さらに「えっ、気付かなかったの? ちょっと考えたらわかるでしょ」なんてサラリと言われようものなら、もはや悔しさを通り越して、悲壮感すらただよっていた。ま、いずれにしても、クリスマスやお正月、バレンタインデーと並ぶイベントデーだったことは間違いない。
ところが、最近はエイプリルフールだというのに、これといったウソをついた記憶がない。一つには締め切り間際で自分がアップアップになっていて、ウソをついている余裕がないから。さすがに切羽詰まった状況下で、制作部署に「原稿あと30分で入ります!」なんてウソをつく勇気はないし、原稿を作ることに必死なのにも関わらず気の利いたウソを考えつくほど、ハイスペックな思考回路を持ち合わせてもいない。そしてもう一つは、ウソをつくのが怖いのだ。子どものころと違って、社会的な立場もあったりするわけで、軽いジョークで言ったつもりが、受け止めた相手が勝手な解釈を加えて拡散し、結果としてボクがとんでもないことを言っていたなんてことになったりする可能性がある。とくにツイッターやFacebookなんかでつぶやかれたりすれば、アッという間に話は広がってしまう。なんとも恐ろしい時代になったものだ。とはいえビビっているだけというのもつまらないので、来年あたりは誰もがハッピーになれるウソを考えよっと。