昨年の初夏から単身赴任生活を送っているボクは、取材のつまり具合によっては家族と会うのが一ヶ月ぶりなんてこともある。そんなとき、久しぶりに会って驚くのは3歳半になる娘の変わりようだ。今年の頭には、「私、○△□?Xでしょ」と何を言ってるのかチンプンカンプンだったのが、2月に会ったときには何を言っているのかがわかるようになっていた。そのおかげで、最近は会話も成り立つようになり、意思の疎通ができるようになったのがうれしい。ボキャブラリーもどんどん増えていて、驚くべきは、彼女のなかで“これは”と思った単語を、たった一度聞いただけで使いこなしていること。さらにカタチを表現する能力もすごい勢いで備わってきている。単身赴任が始まる直前にボクの顔だと見せられた絵は、輪郭すらない状態だった。それがつい先日見せてもらったモノは、ジョン・レノンのアルバム・イマジン(オリジナル・サウンドトラック)に描かれた自画像のようだったのだ(親バカですが、何か?)。
子どもの成長はうれしいのだが、一方で母親の痴ほうが日に日にひどくなっていくのが心苦しい。最近では子ども的な行動をとることがあり、祖父母の経緯から覚悟はしていたものの目の当たりにするとショックであった。ただ子どもの成長と、親の老いを同時に見ることは、一生をダイジェストで見ているようでなかなか感慨深い。はたして、親と同じ老後を迎えるかは今のところわからない。ただし、似たようなことになるような気はしている。そうなるまでに、子どもたちにどんなことを伝えることができるのか、それが最近の悩みである。