人の気配を感じていたい

この間こんなコラムを書いたからではないが、つい最近引っ越しをした。新居は何の変哲もない、ごくフツーの賃貸マンション。エントランスホールの掲示板には、ゴミ出しの時間および分別に関する注意書き、そして騒音に関する注意書きのほか、集合住宅のマナーエトセトラが所狭しと並んでおり、どこの集合住宅でもよく見られる光景となっている。しかしながら、往々にしてこういうルールは守られないことが多いわけで、特に騒音系はタチが悪い。  
 
ちなみにボクの前の住居は木造だったのだが、あまりまわりの住人には恵まれなかったため、隣の部屋の話し声がけっこう大きくて丸聞こえだったし、上の階の住人は深夜によくドタバタうるさくしていたりと、騒々しい部類の物件であった。でも、もともと神経質ではないので、そんな環境でもあまり気にはならなかったが、過敏な人なら十分引っ越しを考えるレベルだったように思う。
 
ところが今のマンションはというと、けっこうな世帯数が入っているにも関わらず、物音ひとつしないので逆にビックリしている。もちろん多少の生活音が聞こえることはままあるのだが、割合で言うなら1割にも満たないレベルである。もちろんそれはそれでいいことなのだが、そこまで物音がしないと逆にホントに人が住んでるのかと心配になるぐらいで、むしろ今までの騒々しさが懐かしく思えてしまうほどである。多少の人の気配がしないと安心できないというのは、何とも勝手な物言いだと思うが、前の部屋とのギャップが凄すぎて、何だか落ち着かない日々を過ごしているのが現状である。
 
一説によると、マンションなどの集合住宅におけるトラブルのうち、最も多いのは生活音に関する苦情らしいが、 確かに気になりだしたらそればかりに意識がいってしまい、落ち着いて生活できないのは間違いない。学生のころは上がうるさかったら掃除機でよく天井を小突いていたものだが、直接苦情を言ってしまうと、また別のトラブルにもなりかねないので、非常に対処に困る問題だったりする。だからこそ引っ越し後にしっかり挨拶するのがいいと思うわけだが、今回、律義に挨拶に行ったら、「最近はそういうことする人は少ないわよ」と言われて、逆に拍子抜けしてしまった。いいんだか悪いんだかよく分からないが、ある程度まわりに住む人の顔が見えたほうが安心するのかなぁ、とこの歳になって思い始めてきた今日このごろである。

C.ARAi

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C.ARAi

Web制作班所属。何事にもしっかりしていたい気持ちはあるものの、やってることはかなり中途半端。基本的に運命にはあまり逆らわず生きていくタイプで、いきあたりばったりが自分にはよく合っていると思っている。悪く言えば計画能力ゼロ。モットーは「来るもの拒まず、去るもの追わず」。

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