40年も生きていると、さすがに自分の器がわかってくる。もちろん、その器を広げようと日々とはいわないまでも努力はしているつもりだ。とはいえ「努力しました!」で簡単に大きくならないのが悲しい。若かりしころは、もっと吸収力があったように思うのだが、最近とくにいろいろなことがなかなか身に付いてくれない。体に余分な肉は簡単に付くのに、なんとも皮肉なものである。
ただ、器を大きくできたところで、それを十分に使い切れるかどうかは、これまた別問題のような気がする。実際に“めっちゃポテンシャルの高い人だなぁ”と感じても、そのポテンシャルを存分に発揮できていないなぁと思う人もけっこういるからだ。ボク自身、自分のパフォーマンスを発揮しきれていないと反省する場面は多々ある。たとえば雑誌の企画なんかでも、できあがって実際にモノが届いてから、あそこをちょっと工夫すれば、もっとスムーズにことが運べただろうし、内容もより充実したのに…、なんてことが多々あるのだ。まぁ、そのちょっとした工夫ができないところまでが、その人のパフォーマンスなんだといわれてしまえばそれまでなんだけど。
ドゥカティのパニガーレやKTMのアドベンチャーのような最新バイクの電子制御っぷりを聞いたり体感すると、こんなことまでできるんだと驚くわけで、こういった補助システムが人のキャパシティを高める方向にも活かされれば、ボクのキャパシティももっと高くなるかもと期待してしまうのは間違いなのだろうか?