今月24日に発売予定のタンデムスタイルでは、南房総を旅しているのですが、ここで「飯縄寺(いづなでら)」というお寺を訪ねたときのこと。そのお寺の住職さんとしばらく話をしたのですが、住職さんがこんなことを言ったんですよね。「このお寺には、『結界(けっかい)』が張ってあるんです」と…。
結界。
オカルトのたぐいだと思っている人もいるかもしれません。あと、いわゆる「中二病」をわずらっているときなんかは、この手の単語が大好きだったりしますよね。少年マンガとかでも、霊的な・妖怪的な世界を描いた作品では「結界がどうこう」というのは非常によく出てくるフレーズです。「ハハハハ、中二病かよ。そんなの現実にあるわけねーじゃん」と思っている人もいるかもしれませんが…。
僕は…、なんか、よくわからないけど「ある」ような気がします。というのもね、その飯縄寺っていうのが、とても気持ちが安らぐところなんですよ。お寺の境内にいるだけで、不思議と心が安らいでくる。それは単なる「気のせい」かもしれませんが、そういった「気のせい」を感じさせる効果があるということは事実ですよね。じゃあもう、それは「結界というものはある」ということでいいじゃないか、そんな風に思います。
神社とかもそうだと思うのですが、境内に入ると自然と「神聖な場所に足を踏み入れた感」というか、DNAに刻み込まれた「気」のようなものを感じます。伊勢神宮に行ったときも、宇治橋を渡った向こう側は、やっぱりこう、「日本人の総氏神」が祀られているところだという空気が漂っていました。凛として、清浄で、厳粛で、しかし心は暖かい。神聖なものを感じると、なぜか、自分の心も浄化されていくような気持ちになりますよね。逆に、汚い・穢(けが)れたものばかり見たり聞いたりしていると、心も不健康になっていきます。そういうのは、しょせん「気のせい」かもしれませんが確実にある「気のせい」ではないかと。
ともかく、何が言いたいのかというと「感じる気持ち」を、これからも大切にしていきたいということ。決してオカルト的な話ではなく「神聖な場所」というのは、存在していると思います。