久しぶりに会った友人に「なんかちょっとふっくらしたような…、太った?」と言われてドキッとしたことはないだろうか? ボクなんてこの間、久しぶりに会った友人に「アレ、やせた?」と聞かれて、ドキッとしたのだ。というのも以前彼と会っていたときの方が間違いなくやせていて、それなのに“やせた”と聞かれれば、やせて見えるくらいやつれているのかと思ったからだ。
そんなわけで、腹まわりがダブついたことを自覚する今、なにが目をひくかといえば、芸能人なども、そのやせっぷりをアピールしている“結果に○○する”とうたっているジムである。ただね、けっこうハードなトレーニングを課せられているようで、それはそれで、できればさけたいとボクをはじめ、誰もが思うことではなかろうか。中学生までは、お腹も筋がハッキリ見えるほどアスリートな体つきだったけれど、それはサッカーで勝つためにフィジカルトレーニングを重ねてきたからだ。不確かな記憶だけれど、雨天時なんかの筋トレでは、腹筋1セット200回を4セットくらい軽くこなしていた。今なんて、きっと50回やることすらムリだと思うんだよね。
そう、試合に勝つためにトレーニングを重ねて手に入れたアスリートな体つきなわけで、決してスマートな体を目的にしていたわけではないのだ。ところが、今はやせていることを目指そうとしている。そう、やせることが目的なのだ。でも、やせることってはたして目的なのか? そう、そうやって今やっているいろいろなことを見直してみると、それが本当に目的でいいのか?と思うことがけっこうあることに気が付いた。みなさんも目的をはきちがえて、苦労していたりしません?