食玩、切手、ステッカーなどの“集める”という要素を持ったモノには、人を夢中にさせる何かがあるものだ。ボクの友人にも熱いコレクター魂を持った男がいて、缶コーヒーについているバイクフィギュアを全種類そろえるまで同じ銘柄のコーヒーを飲み続けたりしている。そんな友人に言わせると、ボクにはどうやらコレクター魂なるモノがなく、その感覚は理解に苦しむレベルらしい。
先日、同世代の同僚にその話をすると「キン消しは集めてただろ!?」と言われた。僕らが子どものころ、83~87年に爆発的に流行した“『キン肉マン』の消しゴム”のことなんだけど、言われてみれば、それさえもまとも集めた記憶がない。ただ、我が家には大量のキン消しが存在していたことは覚えている。それはなぜだったのかとさらに記憶をたどってみると、確かそのキン消しは近所のお兄ちゃんの母親から「うちの息子はもう中学生になるから」との理由(おそらく母親の一存)で、ゆずってもらったものだったことを思い出した。ただそのお兄ちゃんのコレクター魂はすさまじく、そのキン消しコレクションはほぼコンプリートされた状態だったのだ。そんなお宝を駆け出しのコレクターが手にしてしまったら、興が削がれても無理はない。コレクション道で1番ワクワクする瞬間だと言っても過言ではないスタート地点に立つことさえままならず、いきなり最高峰のゴール地点に到達してしまったのだから。
子どものころから現在にいたるまで、何かを集めることに対してとにかく情熱が薄かったボクだけど、その理由は間違いなくこのキン消し事件だろう。
ボクは客観的に見ると、いかにも“何かをコレクションしていそうな”性格で、さらに言うと“引き際がヘタ”らしい。そんな人間がコレクター道にハマると、興味のあるモノを際限なく集め続け、経済面も保管場所もエラいことになるのは目に見えている。集めることの楽しさを知らない人生は何だか寂しい、という気持ちもあるけれど、自分の性格を考えると近所のお兄ちゃんに感謝しなくては! とも思ってしまうのだ。
ちなみにこのキン消し、現在プレミアがついていてスゴい価格で取引されており、レアなモノだと1体40万円だとか。ただ残念なことに、コレクター魂のない少年時代のボクはコンプリートされたキン消しに愛着を持つことができず、小学校高学年あたりでそれらをすべて処分してしまったのだ。なんてもったいないことをしてしまったんだと後悔している…ってよく考えてみると、この事件で1番気の毒なのは近所のお兄ちゃんだな。お兄ちゃんよ、ゴメン! そしてそのお母さん! 息子のコレクションはその子にとっての宝物なんだから、近所の子どもにあげたりしちゃダメだぞ!!