年末餅つき回想録

KJのコラムにもあったが、年末の恒例行事といったら、ボクも同じく餅つきであった。ただボクの場合、メインで活躍していたのは機械ではなく、昔ながらの木製の「ウスとキネ」だった。

これはボクの小さいころの思い出だが、年末の餅つきは、農家をやっていた親戚の家の行事だった。餅つきの日はまだ夜も明けきらぬうちに叩き起こされ、半分ぐらい頭がボーッとした状態で、親戚の家まで連れていかれた記憶がある。

だいたいボクらが親戚の家に着くころには、もうすでに餅つきは始まっていることが多く、親戚中が集まり、いつもと違った緊張感があった。会場である土間には、餅米を炊いたときに出る独特の匂いと、かまどから出る煤の香りが充満し、大人たち、特に女性陣はせわしなく動き回り、その非日常的な光景はそれだけでワクワクするものがあった。

起きてからだいぶ時間が経って、ようやく頭が冴えてくると、そこから本格的に餅つきに参加することになる。大きなかけ声とともに餅をついたり、つきたての餅をつまみ食いしたり、あんこを包むのを手伝ったりと、何もかもが新鮮で、毎年楽しみで仕方ないイベントだったわけである。

ただ、そんな親戚の家の餅つきも、子供たちが大きくなったり、餅のつき手がいなくなったりで、ある年を境にやらなくなってしまった。仕方ないので自分の親父は、どこかからウスとキネを手に入れてきて、はりきって餅をついた年もあったが、餅つきはかなりの重労働なので、つき手が少人数だとかなりきつい。結局2〜3年やってみたものの、それ以降は餅つきマシーンで済ますようになってしまったわけ
だが、それでも親戚の子供たちは大喜びして餅つきを楽しんだ。

だいたい餅つきというイベントは、どちらかというと子供が喜ぶからやるといった、エンターテインメント性が高かったように思う。なので子供が大きくなって、あまりそういったモノに関心を示さなくなると、とたんに大人たちのモチベーションも下がってしまうわけである。そうして結局「大人だけで餅をついても何も楽しいことねえべ…」てな感じで、次第にやらなくなるわけだが、さらにホントに餅だけをメインで考えるのであれば、買ってきた方が手間が少なくて済むし、今はそこそこおいしいものが格安で売ってるので、わざわざ手間をかける必要もない。寂しい話だが、そう考えてしまうのが普通だろう。

昔はそれこそ、そこかしこで餅つきをして、ついた餅もご近所で分け合ったりしたものだった。今では、餅つきすら知らない子どもだっているだろうし、ボクらの世代(197X生まれ)でも、実際に餅をついた経験のない人もいるかもしれない。

ただし、餅つきはそれほど敷居の高いイベントではない。最近ではウスやキネなど、必要なモノはすべてレンタルしてくれるサービスがあるので、場所と時間さえ確保できれば(そこが問題なのだが…)、餅つきはやってやれないことはないのだ。問題はつき手の技術と体力だが、機会があれば、どれくらいつけるのか、チャレンジしてみたいものである。久しぶりに「よいしょー!」とか言ってみたいものだが、腰を悪くするのがオチかもね。

C.ARAi

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C.ARAi

Web制作班所属。何事にもしっかりしていたい気持ちはあるものの、やってることはかなり中途半端。基本的に運命にはあまり逆らわず生きていくタイプで、いきあたりばったりが自分にはよく合っていると思っている。悪く言えば計画能力ゼロ。モットーは「来るもの拒まず、去るもの追わず」。

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