残酷な食事

ボクは魚釣りというモノが苦手だ。おいしそうなエサでおびき寄せて、食べに来たところを針にかけて捕獲する…。その行為が残酷というか、ずるいというか、そにかく魚がかわいそうに思えてならないのだ。そんなことを言っていると「だったら魚を食べられないじゃん」なんて言われることもあるけれど、それならば「鶏肉を食う人はためらわずにニワトリの首を切り落とせるのか?」と聞きたくなる(まぁそこは議論がややこしくなりそうなので置いといて…)。

 

人間は大なり小なり命を食べて生きているのだから、殺生と食を完全に切り離して考えることはできない。それはわかっているつもりなんだど、とにかく子どものころからこの“魚をだまして釣り上げる”という行為がイヤでイヤでしょうがなかったのだ。でもこの話を他人にすると何だか自分が偽善者のように思えて、それも同じくらいイヤだった。

 

じゃあ、なんでこの話をしようと思ったのか? それはボク以上の考えの者に出会ったから。最近入社したKくんという人物は、魚を殺生する行為、つまり釣りが苦手らしい。ここまではボクと同じなんだけど、さらにその先の『調理された姿』にまで同情する考えの持ち主だったのだ。例を上げると『焼き魚を丸かじりすることがかわいそう』『茹でたカニの足を折るのがかわいそう』といったふうに、すでに食材となったものにまで同情するという思想を持ち合わせていた。

 

さすがのボクでもここまでは考えない。ただよく考えてみると『“食材”となったそれはもう生き物ではない』みたいなボクの考えの方が危険なのではないかと思う。別にボクは特定の宗教に入信しているわけではないけれど、敬虔な信者が食事の前に祈りをささげる姿はすばらしいと考えている(実際にやったことはないけど)。命を食べることに感謝をしなくなったら、その食事はただの傲慢な行為に成り下がる。Kくんのように、食卓に並べられた姿にも同情するくらいで、実はちょうどいいのかもしれない。

 

 

でもKくん、タンスタ編集部は釣りどころかヘンなもの食わせられることもしょっちゅうだよ? そんなに優しい心で大丈夫かな~。

サブロー

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サブロー

ほめられて伸びるタイプを主張するクセに、ほめられることをやらない36歳。出身地である徳島県の一級河川・吉野川の別名“四国三郎”から、このニックネームに命名された。映画やマンガにすぐ影響される悪癖があり『ベストキッド』を観て空手を始めたり、『バリバリ伝説』を読んでCB400SF(当時は大型二輪免許を持っておらずCB750Fに乗れなかった)を買うなどの単純明快な行動が目立つ。

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