街に明かりが戻る日

三宅島の雄山が噴火し、全島避難が勧告され島民のすべてが三宅島から退去したのが2000年のこと。あれから10年。05年には全島避難が解除され、島に島民が戻ったものの、高濃度地区と呼ばれる火山ガスによる危険が想定される一部の地区は依然として人が住めないどころか、立ち止まることも制限されてきた。ところが今年1月18日。つまり昨日のことだけど、高濃度地区の火山ガス濃度も年々減少傾向にあることから、高感受性者や19歳未満の継続滞在は不可といった一定の条件はあるものの、島内全域での住居を認めるという発表があった。

 

僕自身、三宅島には個人的にも仕事でも噴火後に何度か訪れているが、初めて渡ったのは09年。そのときは、バイクで走っているとむせるような硫黄臭が鼻を突く地域もあり、火山ガスの脅威を文字どおり肌身で実感。都心のすぐそばに(三宅島も東京都だけど)、こんな場所があったのかと、素直に驚かされたものだ。だけど僕がもっと驚いたのは、そこに暮らす人々の意識だった。島民の人たちと話していて一番感じるのは、ここまで噴火で大変な事態になっているのに火山に対する憎しみがあまりないということ。家を失ったり、何年もの間島を離れることになった人も大勢いるだろう。でも、決してそこに住む人たちは火山を憎んでいるように思えないのだ。困った存在ではあるけど、この島に住む以上しょうがないというか、リスクは覚悟のうえで住んでいるというか…。旅していると、火山と島民の不思議な関係や、そこに住む人たちの強さを会話の端々に感じるのだ。

 

 

ともあれつい昨日、島内全域での居住がいよいよ可能となったわけである。住み慣れた我が家を離れ、10年ものあいだ、この日を待ち望んだ人々の気持ちを思うと、心から「よかった。おめでとう」とエールを送りたくなる。長らく人の気配がなかった集落に少しずつ明かりが灯っていく…。そんな想像をするとなんだかこちらまでうれしくなってしまった。

 

あっ、そうそう。この三宅島。東京からだと(三宅島も東京だけどっ!)、港区の竹芝桟橋から出る船で、金曜の夜発/日曜日の夜帰りという、手軽な週末離島旅行(250㏄以下ならバイクも持ち込めるぞ!)もできるので、興味がある人はぜひ遊びに行ってみてほしい。

やたぐわぁ

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やたぐわぁ

本名/谷田貝 洋暁。「なるようになるさ」と万事、右から左へと受け流し、悠々自適、お気楽な人生を願うも、世の中はそう甘くない。実際は来る者は拒めず、去る者は追えずの消極的野心家。何事にも楽しみを見いだせるのがウリ(長所なのか? コレ)だが、そのわりに慌てていることが多い。自分自身が怒ることに一番嫌悪感を感じ、人生の大半を笑って過ごすことに成功している、迷える本誌編集長の44歳。

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