先日、2017年8月17日時点で放送されていた、アニメ『名探偵コナン』全870話をすべて視聴し終わった。中学卒業ぐらいに第一話を見始めたと記憶してるから、だいたい6年間ほどかかったことになる。本当に暇なときにダラダラと観ていたから、こんなにかかってしまったのである。
名探偵コナンといえば、青山剛昌の推理漫画を原作とした、国民的人気アニメとして知られている。高校生探偵の主人公・工藤新一が、小学1年生の体になってさまざまな事件を解決していくという斬新なアイデアを基盤とし、物語中に張り巡らされた読み手を引き込むさまざまな伏線、個性的かつコミカルに描かれた登場人物たちや、子どもにも分かりやすく解説される事件のトリックなどが、幅広い年齢層の人気を得ている。
しかしそんな有名作品とはいえ、アニメオリジナルエピソードも含まれた全話を観た人は、かなり限られるのではないだろうか。1話30分(たまに1時間スペシャルとかもあるけどね)と考えると、2万6,100分。時間にして435時間だ。それを観切ったうちの一人に、僕はなれたのである。
そして驚いたのは、この名探偵コナンのアニメが放送開始されたのが1996年だということ。僕が生を受けたのは1995年のことなので、ほぼ同い年なのだ。”テレビも映画も20周年!”と告知しているとき、ボクもまた20歳だったのである。映像の中で活躍するコナンとともに成長してきたと考えると、感慨深いものがある。
ということで気になったのは、”自分と同い年のバイクってどんなのだろう?”ということ。簡単に1995年モデルのバイクを調べてみると、GPZ1100やボルティー、TRX850などなど。なんだか親しみのない車両ばっかだな…と思っていたら、ホンダのオフロードモデル・XR250を見つけた。
XR250なら親しみがある。皆のヒーロー、仮面ライダーの駆るバイクとして、何度か採用されたバイクだからだ(ファイズ、ブレイド、電王などなど)。あと編集部のサブローも乗っている。
僕が初めてのバイク選びをしているとき、”オフロードなら、(見た目がカッコいい)KLXか、(あこがれの)XRかなぁ…”なんて思っていたものだ。そのあこがれのXRと生まれた年が一緒だったとは…。
今のニンジャじゃなくてXRを買っておけばよかったかな~、なんて言うと大げさだけど、僕は割と生まれた年とか、どうでもいいようなあたりに敏感。
だってさ、この果てしないような年月の中で、ほぼ同時に生まれた!…って、運命を感じない? それが同じ国ならなおさらのこと。同じ経済状況の中で生まれて、同じ教育方針だとか道徳思想だとかの影響を受けて、同じ天変地異・自然災害などを経験し、現在に至る。それって感動的じゃない??
自分と同じ年式のバイクを見かけたら、今会ったばかりなのに、昔からの旧友のような錯覚さえ覚えてしまう。
”ああ…自分が赤ん坊で泣き喚いていたころ、こいつは新品のピカピカだったんだなぁ…”
”自分が小学校、中学校と進学しているなか、こいつは何人ものオーナーのもとを渡り歩いたのだろうか?”
”あの地震があったとき、こいつは大丈夫だったのかな…転倒しなかったのかな?”
などなど妄想がはかどる。いずれにせよ、お互いに長い間頑張って来たなぁ、これからも頑張ろーぜと応援したくなってくる。まったく同じ時間を生きてきたモノなら、なんだか自分の気持ちを理解ってくれる気がするのだ。
もっとも、最短でも16歳で普通二輪免許を取得できるこの環境では、自分と同い年のバイクをショップなどで見かける機会ってあまりないかもしれない。そのバイクは少なくとも16年落ちで、乗りつぶされてお店に並ばないケースも十分考えられるからだ。
でも、滅多に出会えないからこそ、見かけたときの謎の喜びもひとしお。もし同い年のバイクを愛車にしている人がいたら、僕だったらそれだけで「おおっ」と賛美を贈ってしまう。
正直、なぜここまで感動するかは自分でもわからない。けど、自分と共通している点がある。シンパシーを感じる部分があるって、なんだかよくない? それが人間と人間じゃなくて、人間とバイクという、生物と機械。形も何もかもまったく違う、共通点なんて考えられないようなもので感じられたときって、感動しないだろうか?