バイクはムダの少ない移動手段なのだ
最近“SDGs”という言葉を耳にする機会が増えている。そもそもSDGsとは何なのかから始まり、バイクがそのうちのいくつかに見合った乗り物ではないかという視点から、自身もライダーで、その活動が持続可能なよりよい世界作りとオーバーラップするキャンドルジュンさんに、SDGsとバイクについて話をうかがった。
SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは
Sustainable Development Goalsの略で、直訳すれば持続可能な開発目標となる。2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された“持続可能な開発のための2030アジェンダ”に記載された2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標のことで、17のゴールと169のターゲットから構成されている。
持続できる社会のため我々が意識すべきこと
世界終末時計を知っているだろうか? アメリカの“原子力科学者会報”が発表している人類の終末(絶滅)を午前0時と設定し、その週末までの残り時間を表している時計である。戦争や気候変動などが時間を左右し、2012年には、核兵器拡散の危険性の増大や福島第一原子力発電所事故を背景とした原子力への安全性の懸念から1分ほど進んだ。2021年現在は、残り100秒となっており、それほどに世界は危機的状況にあることを伝えている。そう、有識者からすれば、我々個々がとくに意識することなく今の生活を続けると、人類が存続するにはかなり厳しい状況なのである。
そんな中、2015年の国連サミットで、持続可能でよりよい世界を目指すため、SDGsといった目標が掲げられたのだ。そして最近になって国内においても、SDGsに沿った活動をアピールする企業が増えてきたこともあって、だいぶSDGsという言葉が浸透してきた。移動手段に関して、電動化が進んでいるのもまさにSDGsに当てはまっている。ただ、それ以前に現時点でバイクが他の乗り物に比べて、かなりSDGsにのっとった移動手段だと思うのだ。そのことをライダーであるみなさんにも意識してもらいたくて、今回このページを設けたのである。
というわけで、国連サミットにて持続可能な開発のための2030アジェンダが採択される以前から、持続可能なよりよい社会を目指して活動しているライダーのキャンドルジュンさんに、バイクとSDGsについて話をうかがった。
まずはジュンさんのバイク歴。これが実にアーティストっぽいというか…。バイクに触れるようになったのは実家にいる幼少のころで、日常の足としてのスクーターがつねに身近にあったそう。ホンダ・GB250クラブマンやヤマハ・SRから極力パーツを取り外すスカチューンが流行っていた1990年代半ば、18歳で上京するのだが、そのころはヤマハの商業車っぽいモデルのYD250をカスタムして、ちょっとありそうでないスタイルで足として乗っていた。
「昔からジャンルにカテゴライズされるのがいやでした。東京に出てきたころって、ファッションやバイクのことでケンカになるような時代で、そういうのに巻き込まれるのもいやだったから、ありそうでない、他人がすぐに評価できない車両に乗っていました」
YD250に乗りつつ、ちょい古な車両を手に入れて乗るようになるも、その車両がよく故障したことから、次に乗るのは故障しにくいこと、さらに当時ビッグスクーターやクルーザーが流行り始めていたこともあって、それらとかぶらない車両としてヤマハのTT250Rレイドに到達する。
「レイドをいかに自分ぽく乗るかという方が、自分に課せる課題としては大きいんじゃないかと。その結果、まっ黒なレイドができ上がったんです。その後、ヤマハのTWやセローのような軽量オフロードバイクが流行ってきたこともあって、2000年代中盤からカワサキ・ZZR400に乗っています。つねに誰も行かないところに行きたいのと、車両自体に高い金を出さず、さらにすごく改造しなくとも、オリジナリティを演出できる。加えて維持に手間がかからないという選択の末にたどり着きました。で、車体はレイドに続いてまっ黒。ムダにパイプとか溶接してバンパーみたいなモノを前後に付けています。周りからは、映画『マッドマックス』に出てくる車両っぽいといわれますが、そこはまったく意識していませんでした(笑)」
というように、他の人と同じモノには極力乗りたくないという独創性を追い求めるあたりに、アーティストらしさを感じてしまう。
さて、ジュンさんの活動なのだが、現在はキャンドルの制作だけにとどまらず、音楽フェスティバルやイベントなどの空間演出、さらには地域おこしとかなり幅広い。そして、その根本にはムダを極力省くことが一貫されていて、それがまさにSDGsに当てはまるのだ。ただし、SDGsが設定されるずっと以前から意識していることなのだが…。
「うちの店舗も古材など使いまわしているモノばかりなんです。外壁を覆う多肉植物もなぜ好きかというと、切って置いておいたらどんどん増えていくから。キャンドル自体も削ったり残ったかけらを溶かして再利用していて。フェスとか空間を演出する際も、新品の材料を買ってきてわざと古っぽくしようじゃなくて、つねにストックしておいて、自ずと古い材料も作れてくるので、何かと理にかなっている。だからものすごく面倒なことをしていると見られがちなんですけれど、かなりムダのないようにと意識しているんです」
そもそもなぜムダを極力省くようになったのだろうか?
「物心ついたときから“なんで生きているんだ”という問いがつねにある。死について深く考えた時期があります。すべての人はこの世にやるべきことがあって生まれてきた。だからそのやるべきことをまっとうしたら死がやってくる。正しい死を迎えられるためには、つねに今の自分が行なっていることを見つめるクセがつきました。
もっと大切にしていることは循環です。一つのことだけに集中するのではなく、それらがもたらす先の出来事など、前後も考えます。自分の中の正しい死を迎えるために積極的に“生きる”を続けています」
バイクだからこその優位性を伝えたい
だからこそ現代のさまざまなしがらみでしばられたムダの多さには、たびたび疑問を抱いていて、そういったことがSDGsによって変わりつつあることも感じている。
「本質的なところではみんな“なんでこうなんだろう?”と疑問を抱いていて“よくないよね”と思っていることが多いんだと思います。だったら“変えれば?”という…。でも、この“変えれば”って素直にならない世の中が、大人になればなるほど多いんだなって…。各企業でもそうだし、省庁とかいろいろなところのルールというのも前例主義というか…。
とはいえ“でも言ってみない?”“こうしたらもっとよくない?”という提案が、SDGsの波もあって、逆に評価されるようになってきたということなのかなと思うと、生きやすい時代になってきたのかなと感じてます。
たぶんSDGsを始めた人たちや企業が考えている以上に、この動き方って世界を大きく変えていくんだろうなって思います」
世界が変わる可能性を感じ、その一つを福島に通い続けていることで見出している。
「2011年からずっと福島に通い続けてるんですけども、通っていればいいというのもちょっと違うし、いよいよ10年のまとめをして、これからどうするべきかを提案していかないとと思っています。3.11後の被災地域が3.11の実例を学んでいる状況ができているかというと、そうでもないことが多いんです。
福島の人たちはあれから毎日毎日を生きているから、『3.11だけ盛り上がるのはいやなんだよね』とみなさん口にします。“あの日を忘れないでほしい”ではなく“私たちの経験したことを忘れないでほしい”と。だからその経験から学び、これからの街作りに活かしていかないといけないんじゃないか。“あの日があったおかげで、経験した人たちのおかげで、今、ほかの地域がよくなってきているよね、ありがとう”というふうになれるといいなぁと思って、シンポジウムなどを開催するようになりました」
そんなジュンさんがバイクに乗り続けているのには訳がある。一つはまさにSDGsにもつながるムダを省くことの一環だ。
「A地点とB地点に仕事の打ち合わせで行くというとき、途中で大きな荷物が増えたりするなら四輪ですけど、バイクのほうがいいなというときはバイクです。駐車場料金が安かったり、クルマに比べて燃費も断然いいし、何かと身軽さがあるのがいいですよね。あとそのときどきの季節を感じることも大切だと思っています」
そしてバイクならではの利便性やムダの少なさとは別次元の魅力があることも乗り続けている理由だ。
「都会って、以前はもっと24時間稼働していた感じじゃないですか。とくに10代のころは夜の生活しかしていなかったので、昼夜逆転しているというか、明け方みんなが動いていない時間に帰るし、みんなが帰り始めるときに出勤する。そんなとき、一人バイクで走っていると、大都会のはずなのに自分だけがここにいるような感じがするんです。どこかにツーリングに行きたいという感覚はまったくなくて、むしろ都会の中を微妙な時間帯を走るときに、いろいろと教えられることが多いんです。そして危険と隣り合わせというのも、わりと緊張感を持っていられる大切なことかなと」
ジュンさんがいうように、バイクはさまざまな楽しさや魅力を持った乗り物である。そんな中でバイクの消費するエネルギーや排出ガスの少なさは、まさにムダの少ないSDGsの考えに合到している。そのあたり、ライダーである我々がもっと周りにアピールしていくタイミングに来ていると思うのだ。
キャンドル ジュンさんProfile
キャンドル制作にはじまり、灯す場所と時間を意識するようになったことから、音楽フェスティバルやイベントなどのさまざまな空間演出をするようになる。加えて被災地支援にもたずさわり続け、それが現在では地域おこしにもつながっている。